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にも非ずと

1 月 9th, 2010 by koitror

結論に一番驚いたのは後白河自身だったでしょう。むろん、同時に守仁
が皇太子になります。当然すぐ皇位は守仁に譲られる筈でした。後白河天皇
28歳。文にも非ず・武にも非ずと評された、とんでもない人物が帝位につい
たのです。

えるのに

12 月 12th, 2009 by koitror

穴山梅雪はこの時堺に遊覧中でしたが、信長が京都に来たという知
らせを聞き、挨拶に向かおうとしていて、路上で偶然三河出身で家康と旧知の
茶屋に会い本能寺の変を知りました。当時信長に心酔していた家康はショック
を受け、自分も本能寺に行って信長公の死んだ跡地で腹を切って後を追うなど
と言い出しますが側近の本田忠勝に止められ、弔い合戦をしましょう、その為
に陣容を整えるのに急ぎ三河に戻りましょうと勧められます。

株でおすすめ比較もか

11 月 14th, 2009 by koitror

教職を辞して朝日新聞社に入り、『虞美人草』の連載を始め
ます。その後『三四郎』『それから』『門』の三部作を執筆しますが、
胃潰瘍に悩まされ、特に『門』執筆中の1910年夏、修善寺で療養中に
大喀血。生死の境をさまようことになりました。漱石44歳の時です。

その後も長く闘病を続けながら執筆活動を続け、その体験から自己を厳しく
見つめ直した結果が1912-1914年の三部作『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』
につながっていきます。1915年には自伝的な小説『道草』を発表。

そして『明暗』を執筆中の1916年12月9日、急死。享年50歳。
あまりにも若すぎる死でした。

彼の肖像は1984-2004年に千円札に使用されました。
漫画批評家の夏目房之介は彼の孫です。

「漱石」という名前は、もちろん「漱石枕流」から採ったものです。

 六朝時代。晋に孫楚という人がいた。ある時孫楚は「枕石漱流」つまり
 「石を枕にして、流れで口をそそぐ(粗末な隠遁生活のたとえ)」と
 言うべきところを誤って「漱石枕流」と言ってしまった。人が
 「先生、それは枕石漱流でしょ?」というと、負けん気の強い孫楚は
 「いや、それでいいんだ」と言い、「石で口をそそぐのは歯を磨く
 ためである。流れを枕にするのは耳を洗うためである」と言い訳をした。

嵯峨野

10 月 18th, 2009 by koitror

三途の川を渡った所には衣領樹(えりょうじゅ)という木があり、木の上
には懸衣翁(けんえおう)、木の下には奪衣婆(だつえば)がいて、亡者の衣
を全てはぎ取ってしまいます。亡者は生前に持っていた飾りを全て捨てて、身
一つで裁きを受けなければならないのです。

さて、亡者を裁く閻魔大王は中国の道服を着、笏(しゃく)を持ち、そばには
牛頭(ごず)・馬頭(めず)が控えています。亡者が閻魔大王の前に連れて来
られるますとそばの鏡に生前に犯した罪が映し出され、その罪の大きさにより
色々な地獄に落されることになります。

その地獄には様々なものがありますが、有名なものは八大地獄です。その各々
には16の小地獄が付随していて全部で136の地獄があるといいます。その
八大地獄とは次のものです。

等活(とうかつ)地獄  体を裂かれては蘇り裂かれては蘇りして
               果てしなく苦しむ。生前殺生の罪を犯し
               た者が落ちる。

黒縄(こくじょう)地獄  熱い鉄の縄で縛られ熱い鉄の斧で切られ
               る。生前盗みの罪を犯した者が落ちる。

衆合(しゅごう)地獄   鉄の山が両側から崩落して体を砕く。石
               割地獄とも。生前邪淫の罪を犯した者が
               落ちる。殆どの僧はここに落ちるとか。

叫喚(きょうかん)地獄  熱湯や火に苦しめられる。生前飲酒の罪
               を犯したものが落ちる。

大叫喚地獄     叫喚地獄のもっと苦しいもの。生前妄語
               の罪を犯した者が落ちる。

炎熱(えんねつ)地獄  間断なく猛火を身に受けて苦しむ。焦熱
               地獄とも。邪見の罪を犯した者が落ちる。

大焦熱(だいしょうねつ)地獄 炎熱で焼かれる。極熱地獄とも。尼を汚
               した者が落ちる。

無間(むげん)地獄   火の車・剣の山等で絶え間無く苦しむ。
               阿鼻(あび)地獄とも。父母殺害や大乗
               の教えを誹謗した者が落ちる。

マゾの人にはひょっとしたら素晴らしい世界かも知れませんが、普通の趣味の
人には、ちょっと辛い世界です。

なお上記のものは別名八熱地獄と言われる熱い地獄で、これに対して八寒地獄
という寒い地獄もあるといいます。これは、ア部陀、尼剌部陀(にらぶだ)、
アセチ陀、カカ婆、虎虎婆(ここば)、ウ鉢羅(うはら)、鉢特摩(はどま,
紅蓮地獄-ぐれんじごく-とも)、摩訶鉢特摩(まかはどま,大紅蓮地獄とも)
の八個です。

平清盛が死ぬとき、枕元に「無」という字を書いた紙を持つ鬼が現れたという
伝説があります。これは彼を無間地獄に落すという意味だったといいます。
(この伝説を作ったのは源氏方か?)

ところで、日本の地獄に関して、西洋の地獄とは根本的に異なる点があります。
それは西洋の地獄ではそこに落ちたものは永久に地獄にいなければならないの
に対して、日本の場合、そこで一定期間罪のつぐないをしたら極楽へ行けると
いう点です。つまり日本の地獄は受ける苦しみとしては西洋の地獄並みではあ
るようですが、位置付けとしては、西洋の煉獄に相当するものと考えられます。
そして、地獄の中で一番深い、無間地獄にしても26億年過ごせば出ることが
できることになっており、西洋の地獄のように永久に出られない場所というの
は存在しないことになります。

さて、一説では地獄で亡者を裁くのは一人の閻魔大王ではなくて、十人の王で
あるとされています。これは次の裁判官たちです。

初七日 秦広王     本地は不動明王
二七日 初江王      本地は釈迦如来
三七日 宋帝(宋動)王   本地は文殊菩薩
四七日 五官王      本地は普賢菩薩
五七日 閻魔(閻羅)王   本地は地蔵菩薩
六七日 変成王      本地は弥勒菩薩
七七日 泰山(太山)王   本地は薬師如来
百ヶ日 平等王      本地は観音菩薩
一周忌 都市王      本地は阿シュク如来
三周忌 五道転輪王    本地は阿弥陀如来

現在四十九日に法事をしようとすると忌中が足掛け3ヶ月になってしまう場合、
それを嫌って、代りに三十五日法要で忌開けとする風習がありますが、これは
三十五日で既に閻魔さまの裁きは済んでいるからだともいいます。

よくお寺の庭にこの十王伝説に基づく地獄が作ってあるところがあり、中を歩
くと地獄の十人の王が順に亡者を裁いているところを見られるようになってい
ます。お金のある寺では廻り舞台のようにして十王が出てきて亡者の人形が動
いたりしゃべったりするような所もありますね。

むろん、閻魔大王をはじめ地獄の十王が着ている服が道服であるのは中国の道
教の影響です。

それからヤマにはヤミという妹がいて、地獄の女王であるという説もあります。

それから、閻魔大王のことを書くとき、小野篁のことも書かざるを得ないでしょう。

小野篁は9世紀の漢学者・歌人で、遣唐使を命じられたのを拒否したため隠岐
に流されたものの、その後召し返されて最後は参議にまでなった人です。

この小野篁はこの世と地獄を自由に行き来していて、閻魔大王の陪席裁判官を
つとめていたといわれています。この小野篁が地獄に行き来するのに使った井
戸というのがあって、行く時に使ったものが六道珍皇寺の裏庭に残っています。
帰りに使った井戸は嵯峨野の福生寺の井戸だったのですが、こちらは寺がなく
なってしまい、祀ってあった篁の像は近くの薬師寺が引き受けています。井戸
のあったあたりは竹やぶになっているそうです。

六道珍皇寺は、六波羅密寺や建仁寺の近くで、清水坂に面しています。この付
近はそもそもあの世との境界といわれ、例の飴買い幽霊の話があるのも、この
付近。近くにはその幽霊が買った飴を売っている飴屋さんもあります。

さて、ある時、藤原良相が重い病にかかって亡くなり、三途の川をわたって地
獄の閻魔様の前に進み出ました。すると控えていた冥官の一人が、「この者は
生前右大臣も務め、高潔の人物として知られていた人です。私に免じて生き返
らせて下さい」と言いました。良相がふと見ると、その冥官の顔は小野篁です。
良相が驚いていると、閻魔大王は「まぁ、お前が言うのなら仕方ないな」と言
い、獄卒に彼を現世に戻すよう命じました。この結果良相は生き返ります。

数日後、良相が宮中で篁に会ったので、そのことを離すと篁は困ったような顔
をして「あそこにつとめていることは秘密なので、他の人には言わないで下さ
いね」と言ったとのことです。

株かぶ株在宅

9 月 19th, 2009 by koitror

歴史的仮名遣いの「歴史的」とは、「歴史の彼方の」という意味でもありませんし、「歴史的に一貫している」ということでもありません。「歴史を遡って今に明らかにされた」という感じに捉えるのがいちばんよいでしょう。
 「歴史的仮名遣いの原理」ページの冒頭で述べたような「語の表記の歴史的一貫性」は過去、継続して貫徹されてきたわけではありません。まず定家仮名遣いが回復を試み、次いで江戸時代に至って遅ればせながらほぼ正しく回復することに成功したのが契沖仮名遣い(後の歴史的仮名遣い)であったと言えましょう。その意味で歴史的仮名遣いを「復古仮名遣い」と呼ぶのは当を得ています。

 しかし日本人は歴史上一貫して仮名を「昔から書かれて来た通りに」書こうとして来ました。実際には間違えて伝えられたり分らないままに適当に書かれたりしましたが、意識は「昔から書かれて来た通りに書くのが当然。」でした。ですから各種転呼(仮名を文字通りに発音しないこと)を当然なものとして永く受け入れ続けて来ました。それが昭和に至って歴史上初めて元々どう書かれたかは関係なく「今自分が発音する通りに書くのが当然。」という意識で書き、読むようになったのです。
 歴史的仮名遣いによる学校教育が終了して三分の二世紀経ち、現代仮名遣いが完全に定着した現在においてもなお歴史的仮名遣いを使ってみようとする人々が、若い人を含めて絶えないのは、このように日本語の長い歴史の流れから現代人だけがある意味で隔絶されているのだという疎外感のようなものによるところが大きいのではないでしょうか。現代において歴史的仮名遣いを使用する最大の意味は、古い感じを出せるからとか文章に深みを与えるためとかにあるのではなく、先人達と同じ言語感覚、意識に添ってみるための強力な手段だから、というところにあるのだと思われます。

 ところで、現在学校教育や公的文書、新聞その他のマスコミにおいてはほぼ完璧に「現代仮名遣い」が行われていますから、ほとんどの日本人のふだん読み書きする文章は当然ほぼすべて「現代仮名遣い」によっています。したがってまたほとんどの日本人は現代において「現代仮名遣い」以外の仮名遣いの存在する余地について意識することはありません。
 一方、「歴史的仮名遣い」は過去数十年以前に書かれた近代の文書、小説などを読む機会の他はごく限られたケースにおいてのみ読み書きされているにすぎません。
 このように現在の私たちの言語生活における「現代仮名遣い」と「歴史的仮名遣い」の実際的位置には大きな差異がありますが、しかし、このことは両者の「法的地位」に大きな差があることを意味するものではありません。
 「現代仮名遣い」とは、「内閣告示」によって公文書やマスコミなどのために推奨された仮名遣いの「よりどころ」――ですが、それは口語体現代文にのみ適用するものであり、また、科学、技術、芸術などの専門分野や、個々人の表記にまで及ぼそうとするものではないと規定されています※6。したがって公文書やテレビ、新聞の一般記事などの現代口語文に「歴史的仮名遣い」を使用することは内閣告示の精神に反することになりますが、その他の場面において「歴史的仮名遣い」を使用することには法的には何ら問題はないことになります。原理的には現在二つの仮名遣いが並立しているといってもよいでしょう。
 なお、このことは私たちの漠然とした常識とはかなりずれているように思われます。一国の公用語正書法に関する規定がこのように緩いものであったことに気付いて相当不思議な気がする方も多いのではないでしょうか。

株株在宅

9 月 19th, 2009 by koitror

もし宇宙に銀河(恒星でもよい)が、一様に分布しているとする。ここで、ある範囲(地球を中心とする球とする)の中にある銀河の数を数える。宇宙の半径の2倍にすると、体積は23倍=8倍、半径が3倍になれば33=27倍、つまり、ある範囲の宇宙の体積は、考える半径の3乗に比例することになる。ということは、その中に含まれる銀河の数も、宇宙の大きさ(半径)の3乗に比例してどんどん増えていく。

 一方、銀河までの平均距離は、宇宙の半径を2倍、3倍と広げていけば、そのまま2倍、3倍になる。

 では、一つの銀河から来る光の強さはどうだろう。距離が2倍、3倍になると、同じ光の量で照らさなくてはならない面積は22=4、32=9と、距離の二乗に比例する。一定の面積(単位面積)で考えると、その面が受け取る光の量は1/4、1/9と、距離の二乗に反比例することになる。

 つまり、宇宙の半径を2倍にすると、その中に含まれる銀河の数は8倍、しかし、銀河一つから来る光の量は1/4倍、両方を同時に考えると、地球にやってくる光の量は8倍×1/4倍=2倍。同じように、宇宙の半径を3倍にすると、その中に含まれる銀河の数は27倍、銀河一つから来る光の量は1/9倍、地球が受け取る光の量は27倍×1/9倍=3倍となる。

 これから、地球が受け取る銀河からの光の量は、銀河の数は半径の3乗に比例し、一つの銀河から来る光の量は半径の2乗に反比例するので、結局、距離に比例することになる。これは、宇宙の半径を2倍、3倍とすると、空の明るさも2倍、3倍になるということである。

 つまり、宇宙が無限に大きいと、空も無限に明るいことになってしまう。このことを最初に指摘したのは、1826年、ドイツの天文学者オルバースであった。実際の空は無限には明るくない。だからこれをオルバースの逆説(オルバースのパラドックス)という。

 実際の空が無限に明るくないのは、<d.宇宙の果て>で書いたように宇宙は無限ではなく、有限だからである。

 もし、宇宙は無限に広いのだが、光を吸収する物質がたくさん存在するので、遠くの光は届かないと考えるとどうだろう。じつは、もし途中で光を吸収するものがあるとしても、その物質は最終的には熱平衡に達し、吸収したエネルギーと同じエネルギー(光)を出すことがわかっている(キリヒホッフの法則)。つまり、結局は宇宙を無限とすると、夜空は無限に明るいことになってしまう。まだ平衡に達していないと考えると、こんどは宇宙の歴史は平衡に達するほどの時間がたってはいない、つまり宇宙には年齢(無限の歴史はない)があることになる。

 現在では、宇宙に存在する銀河の平均密度と光度、それから計算できる空(夜空)の明るさは、宇宙を<d.宇宙の果て>で書いたような大きさとすると、ほぼ実際の夜空の明るさと合うといわれている。

株在宅

9 月 19th, 2009 by koitror

われわれの宇宙は、ビッグバン以後まだ膨張を続けていると思われる。だから、逆にこのハッブルが見つけた宇宙の膨張から、宇宙はビッグバンで始まり、それ以後今日まで膨張を続けていると考えられるのだ。

 遠い銀河の後退速度がわれわれからの距離に比例するという、ハッブルの法則を式に書くと下のようになる。

 v=Hr v:後退速度 r:われわれからの距離 H:ハッブルの定数

 いま、ハッブルの定数を100万光年につき20km/sとする。すると、われわれから100万光年彼方の銀河は20km/s、200万光年彼方の銀河は40km/sでわれわれから遠ざかることになる。さらに、1000万光年彼方の銀河は200km/s、1億光年彼方の銀河は2000km/s(2×103km/s)、10億光年彼方では2×104km/s、100億光年彼方では2×105km/s、そしてその1.5倍の距離である150億光年彼方の銀河は、われわれから3×105km/s(秒速30万km)で遠ざかることになる。3×105km/s(秒速30万km)は、光の速さ(光速)そのものである。

 時間を逆転して考えると、150億光年彼方が光の速さで近づいてくるのだから、150億年前には宇宙全体がわれわれのところ、つまり1点に集まってしまう。

 別な場所で見ると、例えば1億光年彼方(1光年9.47×1012kmの1億(108)倍)は2×103km/sで遠ざかっているのだから、逆に時間を逆転して、その速さで近づくとすると、(9.47×1020km)÷2×103km/s=4.74×1017秒(1年=3.16×107秒なので約150億年)かかる。100万光年(1光年9.47×1012kmの106倍)の距離では、上と同じように(9.47×1018km)÷20km/s=4.74×1017秒(150億年)。

 つまり、われわれからどの距離の彼方も、時間を逆転させると150億年前にはわれわれのところ、この1点に集まってしまうことがわかる。だから、これらの計算に出てくるハッブルの定数の逆数が、宇宙の年齢を示しているということになる。

 このようにハッブルの定数は、宇宙の年齢を決める重要な数値である。だが、その数値の確定は現在でも難しい。遠い天体ほど、その距離、つまり後退速度の測定が難しいのだ。最近ではハッブルの定数は100万光年につき20km/sより少し大きいらしいことがわかってきた。そして、この宇宙の年齢は137億年という値も出ている。

株と在宅

8 月 29th, 2009 by koitror

株と在宅はいいものである

そんな感じだ

株で在宅おすすめ比較

8 月 18th, 2009 by koitror

株で在宅のおすすめの比較です。

株式での在宅をおすすめするときの比較を

どんどん書いていこうと思います。


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