場面緘黙症とは?家庭では話せるのに学校で話さない原因と違いを解説

場面緘黙症

場面緘黙症とは、家庭では流暢に話せるにもかかわらず、学校や幼稚園などの社会的場面で話すことができなくなる不安症です。家庭では話せるのに学校で話さない原因は、脳の扁桃体が社会的状況を「脅威」と誤認識し、自律神経系が「凍りつき反応」を起こすことにあります。この違いは本人の意志や性格ではなく、神経生理学的なメカニズムによるものであり、家庭という「安全な環境」と学校という「不安を感じる環境」で脳の反応が根本的に異なることが明らかになっています。

場面緘黙症で悩む子どもや大人は決して少なくありません。有病率は0.2%〜1%程度と推定されており、発症年齢は通常5歳未満で、保育園や幼稚園への入園、小学校入学といった社会集団への参加が始まる時期に顕在化することが多いとされています。本記事では、場面緘黙症の定義から発生メカニズム、家庭と学校での行動の違いが生じる理由、そして具体的な治療法や支援方法まで詳しく解説します。場面緘黙症への正しい理解を深め、当事者や周囲の方々が適切なサポートを見つける一助となれば幸いです。

場面緘黙症とは何か

場面緘黙症は、特定の社会的状況において話すことができなくなる状態を特徴とする不安症です。英語ではSelective Mutism(SM)と呼ばれ、DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)では「不安症群」に分類されています。この障害の最も重要な特徴は、話す能力の欠如ではなく、特定の状況下における発話機能の阻害にあるという点です。

場面緘黙症の子どもたちは「話し方を知らない」わけでも「話す能力がない」わけでもありません。家庭などの安心できる環境では流暢に会話ができるにもかかわらず、学校や職場といった社会的状況において、話すことが期待されているにもかかわらず一貫して話すことができないという、一見矛盾した状態の中に生きています。診断には、この状態が少なくとも1ヶ月以上持続していること(入学直後の最初の1ヶ月は除く)、およびその障害が学業、職業、または対人的コミュニケーションを著しく妨げていることが条件となります。

場面緘黙症の名称の変遷と歴史的背景

場面緘黙症の理解は、その名称の変遷に色濃く反映されています。1877年、ドイツの医師Kussmaulは、話せる能力があるにもかかわらず話さない状態を「随意失語」と呼び、本人の意志による拒絶であると捉えました。1934年にスイスの精神科医Tramerが「選択的緘黙」という用語を提唱しましたが、これも「子供が話す相手や場所を選んでいる」という能動的なニュアンスを含んでいました。

しかし、その後の研究により、当事者の多くが「話したいのに話せない」「声を出そうとすると喉が凍りつく」という苦痛を感じていることが明らかになりました。1994年のDSM-IV以降、英語圏では「Selective Mutism」という用語が採用され、日本語訳も「場面緘黙」または「選択性緘黙」と改められています。この変更は、沈黙が本人の「選択」ではなく、特定の「状況」や「場面」によって引き起こされる反応であることを強調するためのものです。現在では、当事者の主観的体験をより正確に反映した「状況性緘黙」という呼称を支持する声も上がっています。

家庭では話せるのに学校で話さない原因

家庭では話せるのに学校で話さない原因は、脳の扁桃体を中心とした神経生理学的な「生存防衛反応」にあります。場面緘黙症を理解する上で最も重要なのは、それが「心理的な甘え」や「わがまま」ではなく、脳の自動的な防衛反応であるという視点です。

扁桃体の過剰反応と恐怖条件付け

人間の脳には、危険を察知し生存を守るための「扁桃体」という部位が存在します。場面緘黙症児の脳機能研究によると、この扁桃体の感受性が先天的に過敏であり、閾値が低く設定されているという仮説が有力です。定型発達児にとっては「教室での挨拶」や「指名されての発表」は、多少の緊張を伴うものの「安全な日常」の範疇です。しかし、場面緘黙症児の脳は、これらの社会的状況を「生命の危機に匹敵する脅威」として誤認識します。

視線、予期せぬ質問、集団のノイズなどがトリガーとなり、扁桃体が激しく発火します。この信号は視床下部へと伝わり、自律神経系を瞬時に「戦闘モード」あるいは「緊急停止モード」へと切り替えます。これが、本人の意志とは無関係に発生する「話せない」状態の正体です。

ポリヴェーガル理論による「凍りつき」の解明

ステファン・ポージェス博士が提唱した「ポリヴェーガル理論(多重迷走神経理論)」は、場面緘黙症の身体反応を説明する上で極めて整合性の高い理論的枠組みを提供しています。この理論では、自律神経系を進化の過程に基づいた3つの階層的システムとして捉えます。

腹側迷走神経複合体(社会交流システム)は、哺乳類に特有の最も進化した神経系であり、安心・安全を感じている時に活性化します。この状態にある時、人は表情豊かに他者と交流し、声の抑揚を調整し、周囲の音を聞き取ることができます。家庭内でリラックスして話している場面緘黙児は、このシステムが機能している状態にあります。

交感神経系(闘争・逃走システム)は、危険を察知した際に活性化し、心拍数を上げ、筋肉に血液を送り、「戦うか、逃げるか」の準備をします。不安が高まった場面緘黙児は、まずこの状態に移行し、動悸や発汗、筋肉の緊張を経験します。

背側迷走神経複合体(凍りつき・シャットダウンシステム)は、爬虫類由来の最も原始的な防衛システムであり、生命の危機が迫り「戦うことも逃げることも不可能」と脳が判断した瞬間に発動します。このスイッチが入ると、心拍数は低下し、代謝が下がり、身体は不動化します。学校などの不安場面において、場面緘黙児の神経系は、過剰な恐怖により自動的にこの「背側迷走神経系」優位の状態へ落ち込んでいると考えられます。この状態では、喉頭や咽頭を含む発声に関わる筋肉が硬直し、表情筋の動きも抑制されます。彼らは比喩ではなく生理学的に「凍りついて」おり、声を出す機能そのものが一時的にシャットダウンされているのです。

身体感覚としての「声の喪失」

この神経生理学的反応は、当事者に強烈な身体感覚をもたらします。多くの場面緘黙経験者が、「喉が詰まる」「喉に大きな塊があるようで空気が通らない」「首を絞められているような感覚」を報告しています。これは医学的には「ヒステリー球」や、極度の筋緊張による喉頭の締め付けとして説明できます。また、発話しようとすると「心臓が破裂しそうになる」「身体が鉛のように重くなる」といった感覚も一般的です。当事者の手記には、「頭の中では言いたい言葉が駆け巡っているのに、口が開かない」「声を出そうとすると、見えない力で押し戻される」といった記述が見られます。このような身体的拘束感は、本人に「自分は話すことができない」という無力感を植え付け、次回の発話機会に対する予期不安をさらに増幅させる悪循環を形成します。

場面緘黙症の遺伝的要因と環境要因

場面緘黙症の発症には、遺伝的要因が強く関与しています。場面緘黙児の親族には、社交不安症や極度の恥ずかしがり屋の気質を持つ者が多いことが研究で示されています。特定の遺伝子(例:CNTNAP2遺伝子)の変異が、社会的不安や言語発達に関連している可能性も示唆されています。

しかし、遺伝だけで全てが決まるわけではありません。遺伝的に「不安になりやすい気質」を持つ子供が、入園・入学、転校、いじめ、発表での失敗、あるいはバイリンガル環境への適応といった環境的ストレスに晒された時、その防衛反応として場面緘黙が発症すると考えられています。虐待やネグレクトが原因であるというかつての説は、現在では主要な原因としては否定されており、むしろ生まれ持った気質と環境のミスマッチが主因であるとの見方が主流です。

家庭と学校での行動の違いが生じる理由

場面緘黙症児・者の生活は、家庭と学校という二つの世界で、人格が入れ替わったかのような極端なコントラストを見せます。この乖離こそが、周囲の理解を妨げ、診断の遅れや誤解を招く最大の要因となっています。

学校における行動の特徴

学校や幼稚園といった社会的状況において、場面緘黙児は「話さない」だけでなく、行動全体に強い抑制がかかった状態にあります。重症の場合、発話だけでなく動作も緩慢になり、表情の変化も乏しくなります(緘動)。授業中に指名されても身動き一つできず、休み時間も机に座ったまま動かないことがあります。

生理的欲求の抑制も深刻な問題です。トイレに行きたいと言い出せず、またトイレに行くために席を立つことすら目立つため恐怖を感じ、我慢し続けて膀胱炎になったり、失禁してしまったりするケースも少なくありません。軽症〜中等度の場合、首振りや指差し、筆談などの非言語的手段で意思表示ができる場合がありますが、重度になるとこれらの動作も凍結します。

多くの場面緘黙児は、目立つことを極端に恐れるため、規則を厳格に守り、教師の手を煩わせない「良い子」として振る舞います。これは「マスキング(カモフラージュ)」と呼ばれる過剰適応の一種であり、内面では常に周囲の空気を読み、失敗しないよう神経を張り詰めています。

家庭における「反動」現象

一方、一歩家庭に帰り、玄関のドアが閉まった瞬間、彼らの様子は一変します。学校では一言も発しなかった子供が、家では家族に対して大声で話し、歌い、時には激しい感情の爆発を見せることがあります。これは「After-School Restraint Collapse(帰宅後の抑制崩壊)」として注目されている現象です。

この現象のメカニズムは次のように説明できます。学校にいる間、場面緘黙児は扁桃体からの恐怖信号を絶え間なく抑制し、周囲に同調するために膨大な精神的・認知的エネルギーを消費しています。神経系は常に「警戒モード」にあります。帰宅により脳が環境を「安全」と認識すると、それまで張り詰めていた交感神経の緊張が解けます。緊張からの解放は、同時に抑圧されていた感情(恐怖、怒り、不満、疲労)の激しい噴出を引き起こします。

具体的な症状としては、些細なことで泣き叫ぶ(メルトダウン)、親に対して暴言を吐く、物を投げる、あるいは逆に泥のように眠り続ける(シャットダウン)などがあります。親にとっては「学校では大人しいのに、なぜ家ではこんなに扱いにくいのか」と困惑の種となりますが、これは彼らにとって家庭が唯一「鎧を脱げる場所」であり、感情を出しても安全な場所として機能していることの証左です。この「家での荒れ」は、彼らが学校でどれほど過酷な戦いを強いられているかを示すバロメーターとして理解する必要があります。

教師と保護者の認識のズレ

この著しい行動乖離は、教師と保護者の間に認識のズレを生じさせます。保護者が「家では荒れて大変なんです」と相談しても、教師は「学校ではとても大人しくて良い子ですよ」と答え、問題の深刻さが共有されないことが多くあります。逆に、教師が「学校で一言も話さない」と報告しても、家で多弁な姿を見ている保護者は「ただの恥ずかしがり屋では」と軽視してしまうことがあります。この「二重生活」の実態を双方が正しく理解し、連携することが支援の第一歩となります。

場面緘黙症と類似する障害との違い

場面緘黙症は他の発達障害や精神疾患と併存しやすく、また症状が類似しているため、正確な鑑別診断と併存症の理解が不可欠です。

自閉スペクトラム症(ASD)との違いと併存

場面緘黙症とASDは、臨床現場においてしばしば鑑別が困難であり、また高い併存率(研究によっては60%以上)を示します。しかし、その沈黙の動機と質には決定的な違いがあります。

場面緘黙症(単独)の場合、基本的な社会的コミュニケーション能力や対人関心は保たれています。彼らは他者に関心があり、遊びの輪に入りたいと強く願っていますが、不安がそれを阻んでいます。非言語的なスキル(表情の読み取りや文脈理解)は、フリーズしていない状態(家庭など)では定型発達児と同様に機能します。

一方、ASDの場合、社会的相互作用の質的な偏りが本質的特徴です。視線を合わせることの困難さ、場の空気を読むことの苦手さ、興味の限定などは、家庭内外を問わず一貫して見られる傾向があります。ASD児が話さない場合、それは「不安」だけでなく、コミュニケーションへの動機づけの低さや、社会的シグナルの理解不足が関与している場合があります。ただし、「ASD特性(感覚過敏や対人スキルの不器用さ)ゆえに集団場面で強いストレスを感じ、二次的に場面緘黙を発症する」というケース(ASDベースの場面緘黙)は非常に多いとされています。

反抗挑戦性障害(ODD)との違い

「話さない」という行動が、教師や大人に対する反抗と受け取られ、反抗挑戦性障害(ODD)と誤解されることがあります。しかし、両者の動機は対極にあります。場面緘黙児の沈黙は「話したいのに話せない」という恐怖に基づく回避行動です。彼らは学校では規則を遵守し、教師に対して攻撃的な態度をとることは稀です。家庭での癇癪は「安心できる場所での発散」であり、権威への挑戦ではありません。

対してODDの沈黙は、「話したくないから話さない」という拒絶や、大人をコントロールしようとする意図を含む場合があります。ODD児は家庭だけでなく、学校や他の場所でも広範に反抗的・攻撃的な態度を示し、規則違反や他者への嫌がらせを能動的に行う傾向があります。場面緘黙児の「頑固さ」に見える態度は、不安からくる硬直であり、他者を支配しようとする意図はありません。

社交不安症(SAD)との関係

場面緘黙症は、実質的に社交不安症(SAD)の極端な形態、あるいは小児期における表現型であるという見方が強まっています。成人の場面緘黙当事者のほぼ100%が社交不安症の診断基準を満たすという研究結果もあり、両者は連続線上にあるスペクトラムとして捉えるのが妥当です。場面緘黙症の診断基準を満たす子供の多くは、話すこと以外にも、人前で食事をすること、トイレに行くこと、注目を浴びること全般に対して強い不安を抱いていることが多いとされています。

場面緘黙症の治療法とスモールステップによる支援

場面緘黙症は、適切な介入を行わなければ長期化し、成人期まで症状が残存するリスクがあります。治療の原則は、「話させること」を目指すのではなく、「話すことへの不安を取り除くこと」を目指す点にあります。

基本原則は不安の低減とプレッシャーの排除

支援における絶対的なルールは、「話すことを強要しない」ことです。「挨拶しなさい」「声を出して」「お返事は?」といった指示や懇願は、当事者にとっては脅威以外の何物でもありません。プレッシャーをかけられると、扁桃体のアラートレベルが上がり、フリーズ反応が強化されます。また、偶然話せた時に周囲が過剰に反応する(「あ、喋った!」と騒ぐ)ことも、本人に「注目される恐怖」を植え付けるため避けるべきです。支援者は、まず「話さなくても安心して過ごせる環境」を保障し、本人の神経系を「腹側迷走神経系(安心モード)」へ導くことから始めなければなりません。

スライディング・イン法(刺激フェーディング法)

場面緘黙症の治療において、最も体系的かつ効果的な手法として推奨されているのが「スライディング・イン法」です。これは、子供が安心して話せる相手との会話の中に、新しい相手を極めて緩やかに、気付かれないほどのペースで「滑り込ませ」、最終的に新しい相手とも話せるように移行させる技法です。

この手法は通常、学校の放課後の教室など、実際に話せるようになりたい場所で行います。まず環境設定として、他の児童がいない静かで安心できる部屋を用意します。ウォームアップ段階では、子供と安心して話せる相手(多くの場合は母親)の二人だけで部屋に入り、遊びながら会話をします。新しい相手(教師など)は部屋の外に待機し、存在を消します。子供がリラックスし、母親と通常通りの声量で話せるようになるまで待つことが全ての出発点です。

視覚的スライディング・インの段階では、教師がドアを少し開け、子供の視界に入らない位置に静かに座ります。教師は子供を見ず、別の作業をするふりをして「関心がない」ことを装います。母子の会話が途切れないことが重要で、もし子供が黙ったら教師は距離を取るか退出して負荷を調整します。物理的接近の段階では、数回のセッションをかけて教師は徐々に母子のいるテーブルへと近づいていきます。まだ会話には加わらず視線も合わせません。子供が「先生がいても、お母さんと話していて大丈夫だ」という安心感を学習する過程です。

活動への参加段階では、教師が母子のテーブルに座り同じ活動(トランプやボードゲームなど)に参加しますが、会話には加わらずゲームの進行に必要な動作のみを行います。間接的介入の段階では、教師が母親に話しかけ、母親を通して子供に質問をしたり、じゃんけんの掛け声など発話の負荷が極めて低い言葉を全員で言ったりします。直接会話への移行段階では、教師が子供にYes/Noで答えられる簡単な質問やゲームに必要な短い言葉を投げかけます。子供が答えられたら、さりげなく肯定します。最後にパートナーのフェードアウト段階で、母親が席を外し、教師と子供だけで会話が継続できれば転移の成功です。このプロセスは、子供の不安度を見極めながら数週間から数ヶ月かけて慎重に進められます。

シェイピング法とスモールステップ

スライディング・イン法と並行して用いられるのが、発話行動を細かく分解し、達成可能なレベルから徐々に難易度を上げていく「シェイピング法」です。発話へのスモールステップとしては、参加レベル(学校に行く、教室にいる、活動を見学する)から始まり、非言語的意思表示(ジェスチャー、うなずき、筆談)、音声の介在(家で録音した音読の音声を先生に聞かせる、楽器を吹く)、発声の萌芽(マスクをしたまま小声で話す、特定の音を出す)、定型的発話(出席確認で「はい」と言う、教科書を一行だけ読む)、そして自由会話(短い質問に答える、自分から要求を伝える)へと段階的に進んでいきます。

これらのステップを、ポイントカードやシールと組み合わせ、クリアするごとに報酬を与えることで動機づけを高める手法も有効です。重要なのは、失敗させないような低いハードル設定です。「これならできる」という成功体験の積み重ねこそが、不安を打ち消す最大の特効薬となります。

薬物療法の役割

重度の不安やうつ症状を併発している場合、あるいは行動療法のみでは改善が見られない場合、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)などの抗不安薬の使用が検討されます。薬物療法は「話させる薬」ではなく、扁桃体の過剰なアラートを鎮め、行動療法に取り組みやすい土台を作るための「補助輪」としての役割を果たします。特に成人や思春期のケースでは、固定化した不安を解きほぐすために有効な選択肢となり得ます。

学校教育における合理的配慮と支援体制

日本における学校教育では、場面緘黙症は特別支援教育の対象(情緒障害など)に含まれます。しかし、通常の学級に在籍するケースが大半であり、担任教師の理解と配慮が学校生活の質を決定づけます。

日本の学校システムにおける支援の枠組み

通級による指導は、通常の学級に在籍しながら週に数時間、別の教室に通い、自立活動としてスモールステップの取り組みやソーシャルスキルトレーニングを受ける制度です。場面緘黙児にとって、少人数で安心できる通級は、スライディング・インの実践の場として非常に有効です。特別支援学級(自閉症・情緒障害学級)は、より手厚い支援が必要な場合、少人数の固定学級に在籍することも選択肢となります。静かな環境が保障されるため、安心感を得やすいとされています。

合理的配慮については、障害者差別解消法に基づき公立学校には合理的配慮の提供が義務付けられています。保護者は学校に対し、診断書などを添えて具体的な配慮を求める権利があります。

教室でできる具体的な配慮

コミュニケーション手段の代替として、出席確認や返事は挙手、お辞儀、カード提示などで代用することを認めることが有効です。「トイレに行きます」「保健室に行きます」といった意思表示カードを持たせ、声を出さずに提示すれば許可するルールを作ることで、生理的欲求の抑制による問題を防ぐことができます。

座席配置の工夫としては、教卓の目の前や教室の中央などの注目を集めやすい席は避け、廊下側の端や後ろの席など背後からの視線を気にしなくて済む場所にすることが推奨されます。隣席には、本人が比較的リラックスできる児童や、世話を焼きすぎない穏やかな児童を配置することも効果的です。

活動・評価の調整としては、音読テストやリコーダーのテストは皆の前でさせず、別室で教師と二人で行うか、家庭で録音したデータを提出することで評価する方法があります。日直や発表の当番は、本人ができる役割(黒板消しやプリント配布など)に変更するか、二人一組で行いパートナーに話してもらう形式にすることが考えられます。

クラスメートへの周知については、学級崩壊やいじめを防ぐため、教師が適切なモデルを示すことが重要です。「〇〇さんは、今は話すのが少し難しいけれど、他の方法でお話ししてくれているから大丈夫だよ」と自然に受け入れる姿勢を見せます。本人が話した時に「わっ、喋った!」と騒ぐことを禁止し、自然に聞き流すことが最大の支援であると指導することが大切です。

大人の場面緘黙症と就労における課題

かつては「成長すれば自然に治る」と楽観視されていましたが、適切な支援がない場合、症状は成人期まで遷延化します。大人の場面緘黙(成人場面緘黙)は、就労や社会的自立において深刻な壁に直面します。

成人期の症状と二次障害

成人しても場面緘黙が続く場合、その症状はより複雑化・固定化する傾向があります。長年の回避行動により「話さない自分」がアイデンティティの一部となり、そこから抜け出すことに強烈な違和感や恐怖を感じるようになります。また、長期間の孤立、自己否定、将来への絶望感から、うつ病、パニック症、引きこもり、強迫症などを併発するリスクが高まります。特に「自分はダメな人間だ」という低い自己肯定感(学習性無力感)は、治療への意欲さえも奪うことがあります。

職場における困難と合理的配慮

就労場面において、コミュニケーション能力は必須スキルとされることが多く、当事者は極めて不利な状況に置かれます。主な困難としては、予測不能な相手からの受電である電話応対が最大の恐怖対象となることが挙げられます。コール音が鳴るだけでパニック(フリーズ)になり、受話器が取れないケースも多くあります。雑談・昼休みの問題として、業務上の会話はメモでこなせても、休憩時間の雑談の輪に入れず職場で孤立することがあります。「付き合いが悪い」「暗い」と評価され、居場所を失うこともあります。突発的な質問への対応として、上司から急に「これどうなってる?」と聞かれると、頭が真っ白になり喉が詰まって答えられないことがあります。

職場での合理的配慮と工夫として、現代のテクノロジーとダイバーシティの考え方は大人の場面緘黙者にとって追い風となっています。コミュニケーションツールの活用として、Slack、Chatwork、Microsoft Teamsなどのチャットツールやメールを主な連絡手段とすることを認めてもらうことが有効です。業務の限定として、電話応対を免除する代わりにデータ入力や資料作成など他の業務を多めに引き受けることでバランスを取ることができます。環境調整として、静かな作業スペースの確保、パーティションの設置、ノイズキャンセリングヘッドフォンの使用許可など、感覚過敏への対策を行うことで神経系の過覚醒を防ぐことができます。

場面緘黙症当事者に向いている可能性のある職種

場面緘黙当事者は、一般的に真面目で、集中力が高く、緻密な作業を得意とする傾向があります。対人コミュニケーションの負担が少なく、自分のペースで進められる職種においては、高いパフォーマンスを発揮することが多いとされています。向いている可能性のある職種としては、プログラマー、システムエンジニア(SE)、Webデザイナー、Webライター、データ入力、電話なしの事務職、工場でのライン作業、軽作業、清掃業、警備員、図書館司書、アーカイブ業務、在宅ワーク(フリーランス)などが挙げられます。

重要なのは、「話せないから働けない」と諦めるのではなく、自分の特性(静かな環境で力を発揮する、文章での伝達が得意など)を活かせる環境を選び取ることです。就労移行支援事業所などの専門機関を活用し、自分の取扱説明書(ナビゲーションブック)を作成して企業に配慮を求めることも、現代の就活戦略として有効です。

まとめ

場面緘黙症は、家庭では流暢に話せるにもかかわらず学校などの社会的場面で話すことができなくなる不安症であり、その原因は脳の扁桃体の過剰反応と自律神経系の「凍りつき反応」にあります。本人の意志や性格の問題ではなく、神経生理学的なメカニズムによるものであることを理解することが、適切な支援の第一歩です。

家庭と学校での行動の違いは、安全な環境と不安を感じる環境での脳の反応の違いから生じており、「After-School Restraint Collapse(帰宅後の抑制崩壊)」という現象も、学校でどれほどのエネルギーを消費しているかを示すものとして理解する必要があります。治療においては「話させること」ではなく「話すことへの不安を取り除くこと」を目指し、スライディング・イン法などのスモールステップによる段階的なアプローチが有効です。

支援の絶対的なルールは「話すことを強要しない」ことであり、プレッシャーをかけることは症状を悪化させます。学校や職場では、コミュニケーション手段の代替、座席配置の工夫、活動・評価の調整といった合理的配慮を求めることができます。場面緘黙症は決して「治らなければ社会に出られない病」ではなく、一つの「特性」として捉え、適切な環境調整があれば十分に社会の一員として貢献できる存在です。大切なのは、当事者の口をこじ開けることではなく、その沈黙の背後にある叫びに耳を傾け、共に歩むための静かな伴走者となることです。

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