場面緘黙症は、特定の社会的状況で話すことができなくなる小児期の不安障害として、近年多くの研究者から注目を集めています。かつては「選択性緘黙」と呼ばれていましたが、「選んでいる」という誤解を招くため、DSM-5-TR日本語版やICD-11において「場面緘黙」という名称に変更されました。この症状は単なる人見知りや一時的な緊張とは異なり、強い不安や恐怖が根底にある深刻な状態です。家庭では普通に話せるのに、学校や特定の人物の前では一貫して話せない状態が1ヶ月以上続き、学業や社会生活に支障をきたします。2025年現在、場面緘黙症に関する研究は急速に進展しており、発症メカニズムの解明から効果的な治療法の開発まで、様々な角度から科学的なアプローチが行われています。本記事では、最新の研究論文から得られた知見をもとに、場面緘黙症の実態と治療の現状について詳しく解説していきます。

Q1. 場面緘黙症の研究論文から分かる最新の発症率や疫学データは?
場面緘黙症の発症率については、研究によってばらつきがあるものの、0.02%から1.89%の間とする報告が多く見られます。特に注目すべきは、日本国内で実施された大規模調査の結果です。梶・藤田(2019)による小学生約14万7千人を対象とした調査では、有病率が0.21%という具体的なデータが報告されています。これは小学校1校に約1人の割合で場面緘黙症の子どもが存在することを示しており、決して稀な症状ではないことが明らかになっています。
性別による差異について、ほとんどの研究報告で男児よりも女児に多く見られる傾向が確認されていますが、同数という調査結果も存在するため、性別差については今後さらなる検証が必要とされています。発症時期に関しては、5歳未満の幼児期から児童期にかけて多く発症することが分かっており、特に集団生活が始まる幼稚園や保育園への入園時、小学校への入学時など、新しい環境に適応する必要が生じたタイミングで症状が現れることが一般的です。
興味深いことに、小学校入学後に症状がはっきりする場合や、さらに年齢が上がってから気づかれる場合もあり、新年度だけでなく年度の途中から生じることもあるという報告もあります。これらの疫学データは、教育現場や医療現場において場面緘黙症への理解を深め、早期発見・早期支援につなげるための重要な基礎資料となっています。現在も複数の研究機関で疫学調査が継続されており、より正確な実態把握に向けた取り組みが進められています。
Q2. 場面緘黙症の原因について研究論文ではどのような理論が提唱されているか?
場面緘黙症の発症メカニズムについては、生まれつきの本人の性質と環境的要因が複雑に絡み合って発症するという多因子モデルが主流となっています。最も重要な理論的枠組みは、場面緘黙症を不安障害の一種として捉える観点です。DSM-5において「不安症群」に分類されていることからも分かるように、特定の状況で話せなくなることは、話すことへの強い不安や恐怖心によって引き起こされていると考えられています。
神経生物学的な観点から、研究仮説として注目されているのが脳の扁桃体(アミグダラ)の易興奮性です。不安になりやすい気質を持つ子どもは、扁桃体の反応閾値の低下があり、恐怖を感じるような出来事に直面すると、扁桃体が危険のシグナルを受け取り、身を守る一連の反応を始動させてしまうため、誕生日パーティーや学校などの社会的場面で恐怖を感じることがあるとされています。
気質・特性的要因として、研究で明らかになっているのは以下の特徴です。抑制的な気質(新しい状況や人に対して警戒心が強い)、感受性の高さ(周囲の雰囲気や他者の感情に敏感)、完璧主義・失敗への恐れ、感覚過敏(大きな音や強い光を苦手とする)などが挙げられます。また、場面緘黙児の約20-30%が微細な発話及び言語の障害を抱えているという報告もありますが、これらの子どもも緘黙の根本原因である不安の問題をすでに持っていることが重要なポイントです。
環境要因については、入園・入学・転校・引っ越しなどの急激な環境変化、二言語環境(2言語を用いる家族や外国での生活経験)、周囲からの不適切な対応(話すようにプレッシャーをかける)などが関与する可能性が指摘されています。一方で、多くの研究から、場面緘黙の原因が虐待や育児放棄、心的外傷である証拠は全くないとされており、この点は重要な研究知見として確立されています。
Q3. 研究論文で証明されている場面緘黙症の効果的な治療法とは?
場面緘黙症の治療において、心理行動療法(CBT)が最も高い有効性を示すことが複数の研究論文で証明されています。治療の主な目的は、不安を低くし、自尊心を高め、社会的場面での自信やコミュニケーションを増やすことであり、決して「子どもに話をさせること」に重点を置くべきではないことが強調されています。
最も効果が実証されている手法の一つが段階的エクスポージャー法(Gradual Exposure)です。この方法では、不安を感じる「話す」ことに関連する状況を不安のレベルが低いものから高いものへとリストアップし、低いレベルのものから順番に挑戦していきます。成功体験を積み重ねながら次のステップに進むことが重要で、この手法は子どもだけでなく青年期以降の場面緘黙当事者にも有効性が確かめられています。
刺激フェーディング(Stimulus Fading)は、話せる相手がいる安心できる状況からスタートし、徐々に話せない相手をその場に加えていく方法として研究で効果が報告されています。また、シェイピング(Shaping)では、最終目標に向けて目標に近い行動を段階的に強化していく手法が用いられ、声は出なくても口を動かす、囁くなど、発話に近い行動ができたら褒めるというように、少しずつ目標行動に近づけていきます。
薬物療法については、心理療法がうまくいかない場合や不安症状が非常に強い場合にセロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)などの抗うつ薬や抗不安薬が用いられ、不安を軽減することで心理療法に取り組むハードルを下げる補助的な役割を果たすことが研究で示されています。
注目すべき最新の治療法として、親子相互交流療法(PCIT-SM)があります。2025年2月に発表された愛育病院の研究によると、場面緘黙症のための親子相互交流療法の国内における治療効果を検証する多施設共同後方視的研究が実施されており、この治療法の有効性が科学的に検証されています。研究は2027年3月31日まで実施される予定で、今後の治療法確立に向けた重要なエビデンスが蓄積されることが期待されています。
Q4. 場面緘黙症の併存症について研究論文で報告されている最新知見は?
場面緘黙症の研究において特に注目されているのが、他の精神的な課題や発達障害との高い併存率です。最も頻度が高いのが社交不安症(社交不安障害)で、場面緘黙児の90%以上が社会恐怖や社会不安も持っているとされています。近年のメタ分析(Driessen et al., 2019)では、不安症の併存率は80%、そのうち社交不安症の併存は69%であったことが報告されており、場面緘黙症と不安障害の強い関連性が科学的に証明されています。
自閉スペクトラム症(ASD)との併存については、非常に興味深い研究結果が報告されています。児童神経精神医学クリニックを受診した場面緘黙児を対象とした調査(Steffenburg et al., 2018)では、63%にASDの併存が認められたという驚くべき数値が示されています。これは、場面緘黙症の背景にある神経発達的な特性の複雑さを物語る重要な知見です。
その他の併存症として研究で報告されているのは、分離不安症、強迫性障害、微細な発話及び言語の障害などがあります。場面緘黙児の約20-30%が微細な発話及び言語の障害を抱えているという報告もありますが、これらの子どもも緘黙の根本原因である不安の問題をすでに持っていることが重要なポイントです。
特に深刻な問題として注目されているのが二次障害のリスクです。適切な支援なく学校生活を送った場合、長期にわたるストレスから、不登校や引きこもり、うつ病、抑うつ状態、適応障害、対人恐怖症などの二次的な問題につながるケースが見られます。研究では、特に小学校高学年以降は不登校のリスクが非常に高くなることが指摘されており、早期介入の重要性が強調されています。
行動面での併存症状として、「話せない」以外にも行動の抑制が多く報告されています。人前で食事ができない、トイレに行けない(生理的行動の抑制)、学校で字が書けない、着替えができない、運動ができない、体が固まって動かない「緘動」といった症状が見られることも稀ではありません。これらの研究知見は、場面緘黙症が単なる「話せない」症状ではなく、包括的な支援が必要な複雑な状態であることを示しています。
Q5. 2025年最新の場面緘黙症研究動向と今後の研究展望は?
2025年6月時点において、場面緘黙症に関する研究は過去最高レベルの活発さを見せています。最も注目すべきは、科学研究費助成事業(科研費)での研究採択状況です。2025年度には新規で「場面緘黙児の担当教員を対象とした遠隔ティーチャートレーニングの開発」が採択され、既存の6件と合わせて計7件の研究が進行中となっています。これは過去最多の研究数であり、総交付額は845万円に達しています。
遠隔支援技術の開発が大きなトレンドとなっており、新規採択研究と既存の「選択性緘黙症児とその親に対するインターネットによる遠隔家庭介入プログラムの開発」研究で共通して「遠隔」という要素が注目されています。これは、コロナ禍を経て遠隔支援の重要性が認識されたことや、専門的支援へのアクセス改善の必要性が背景にあると考えられます。
進行中の研究テーマは多岐にわたり、「場面緘黙児の学校中心型支援モデルの構築」、「選択性緘黙児の聴覚・言語に関する認知神経心理学的検討」、「場面緘黙児の類型化と不登校予防のための支援方法の確立」、「場面緘黙児の認知・思考プロセスの特性が社会生活に及ぼす影響に関する研究」、「ASD傾向を示す場面緘黙児に対する社会生活への適応を目指した支援方略の構築」など、基礎研究から応用研究まで幅広くカバーしています。
学術的な発信も活発化しており、日本場面緘黙研究会の学術機関誌「場面緘黙研究」は第3巻第1号を2025年3月31日付で発行し、第4巻第1号掲載論文の投稿締切りは2025年8月末日に設定されています。また、家族看護学研究の第30巻では成人の場面緘黙当事者の体験や望んでいる支援について明らかにされるなど、研究対象の拡大も見られます。
今後の研究展望として、場面緘黙児は病態が多様であり、一人ひとりの背景が異なるため、オーダーメイドのプログラムの検討が必要とされています。集団参加型ワークショップに成果が見られていることから、今後はどのタイプの場面緘黙児にも参加しやすく、効果が得られるプログラムの開発が重要な研究課題となっています。また、成人の場面緘黙当事者への包括的な支援を拡大するため、医療・福祉などのフォーマルな支援が行き届く社会の仕組みの整備と、インフォーマルな支援を拡大するための社会的な理解の促進が不可欠とされており、これらの領域での研究がさらに加速することが予想されます。
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