場面緘黙研究の最前線:J-STAGE掲載2025年11月最新論文が示す支援の未来

場面緘黙症

場面緘黙という言葉をご存知でしょうか。特定の場所や状況では流暢に話せるのに、学校や公共の場では話すことができなくなってしまう不安障害のことです。2025年11月現在、日本の学術文献データベースであるJ-STAGEには、場面緘黙研究における重要な進展が掲載されています。専門ジャーナル『場面緘黙研究』が確立され、最新の研究成果が継続的に発表されるようになったことは、この分野が大きな転換点を迎えたことを意味しています。従来は単一のケーススタディの蓄積が中心でしたが、現在では体系的な研究へと発展し、青年期や成人期の当事者、保護者が抱える課題、そして学校・家庭・専門家の連携強化といった多角的なアプローチが進められています。本記事では、J-STAGEに掲載された2025年11月時点での最新論文をもとに、場面緘黙研究の現在地とこれからの展望について詳しく解説します。

場面緘黙とは何か:定義と日本における実態

場面緘黙は、Selective Mutismという英語名で知られる精神医学的に明確に定義された不安障害です。この症状の中核的な特徴は、家庭など本人が安心できる環境では普通に会話できるにもかかわらず、学校や地域社会といった特定の社会的状況において一貫して話すことができない状態が続くことにあります。

多くの場合、症状は幼児期に発現します。アメリカ精神医学会の診断基準であるDSM-5によれば、この話せない状態が1ヶ月以上継続し、それが学業や社会的コミュニケーションを著しく阻害する場合に診断されます。ただし、学校に入学して最初の1ヶ月間は除外されます。これは、新しい環境への適応期間として考慮されているためです。

重要なのは、場面緘黙が単なる「恥ずかしがり屋」や「人見知り」とは質的に異なるという点です。本人が意図的に「話さない」ことを選択しているわけではなく、強い不安や恐怖によって「話せない」状態に陥っているのです。これは医学的な支援を必要とする症状であり、適切な理解と介入が求められます。

日本国内における有病率に関する研究では、注目すべき調査結果が報告されています。幼稚園、小学校、中学校における場面緘黙児の全体の在籍率は0.21%と推計されました。特に興味深いのは、就学前の幼稚園における在籍率が0.66%と最も高いという点です。この数値は、早期発見の重要性を強く示唆しています。また、性差については、男子生徒に対する女子生徒の比率が1対2.1となっており、女子生徒に多い傾向が明らかになっています。

2025年における場面緘黙研究の構造的変化

2025年11月現在、J-STAGEを概観すると、日本の場面緘黙研究において極めて重要な構造的変化が確認できます。それは、専門ジャーナル『場面緘黙研究』が確立され、最新の研究成果が継続的に掲載されているという事実です。

この変化は単に論文の発表件数が増えたという量的な変化以上の、質的な「成熟」を意味しています。従来、場面緘黙の研究は、より広範な発達障害や教育分野のジャーナルにおいて、一つのトピックとして扱われることが主流でした。しかし、専門誌の登場によって、場面緘黙が関連分野の一症状という位置づけから脱却し、それ自体が独立した専門研究分野として日本国内で確固たる地位を築いたことを象徴しています。

専門誌の存在は、査読基準の統一、研究者コミュニティの緊密化、そして若手研究者の育成を促進します。過去の研究が単一ケーススタディの蓄積に重点を置いていた段階から、より体系的で介入効果の検証を含む質の高いエビデンスを構築する統合・専門化の段階へと、日本の場面緘黙研究が明確に移行しました。2025年は、その変曲点として記憶されるべき年であると言えます。

学校・保護者・専門家の連携が最重要テーマに

この研究分野の成熟は、2025年10月にJ-STAGEで公開された最新のシンポジウム報告のテーマに鮮明に表れています。梶正義氏によるそのテーマは、学校・保護者・専門家間の連携です。

このテーマが2025年の最重要課題として設定された背景には、日本の教育現場における積年の課題があります。場面緘黙は学校教育において古くから情緒障害に位置づけられ、特別支援教育の対象となってきました。それにもかかわらず、支援の発展が見られないという深刻な停滞が続いていたのです。

このシンポジウムが特に焦点を当てているのが、連携の中核を担うべき特別支援教育コーディネーターの役割です。これは、単に「連携は大事だ」という抽象的なスローガンを繰り返すのではなく、既存の教育システム内に存在する具体的な役職をハブとして機能させ、長年続いてきたシステム不全を解消しようとする極めて戦略的なアプローチです。

この動きは、過去の研究で繰り返し報告されてきた保護者の苦悩に対する学術コミュニティからの直接的な応答と解釈できます。母親の長期的なライフストーリー研究では、不適切な支援に苦しんだ経験が報告されており、また2024年の保護者調査では、教師の不十分なサポートが保護者の深刻な課題として挙げられていました。

2025年の研究が示す連携の強化という方向性は、日本の場面緘黙支援における問題の核心が、もはや「どのような介入法があるか」という知識の欠如から、「それを現場でいかに効果的に実行するか」という実装の失敗へと移っていることを明確に示しています。

青年・成人の場面緘黙:見過ごされてきた課題

13歳から55歳までの当事者271名を対象とした画期的調査

日本の場面緘黙研究は伝統的に子どもに焦点が当てられてきました。しかし、2025年10月にJ-STAGEで公開された田中佑里恵氏による最新論文は、その視点を劇的に拡大しました。この研究は、これまで光が当てられてこなかった13歳から55歳までの青年・成人の当事者および経験者271名を対象とした調査という画期的な成果を報告しています。

この研究が明らかにした実態は、日本の支援システムが抱える深刻な課題を浮き彫りにしています。

まず第一に、診断と治療へのアクセスの欠如です。調査対象者のうち、場面緘黙の診断や治療を受けた者は約2割という低い割合に留まりました。さらに、治療を受けていたとしても、その開始時期は9歳以降と遅い傾向にありました。

第二に、医療や教育のセーフティネットからこぼれ落ちていた実態です。自身が場面緘黙であると自覚したきっかけとして、実に約6割がインターネットで見たことと回答しています。これは、幼少期から青年期にかけて、学校や医療機関といった公的な支援網が彼らの困難を適切にスクリーニングできず、当事者自身が成人後にインターネット上の情報を頼りに自らの苦しみに名前をつけることを余儀なくされてきたという、スクリーニングの完全な失敗を証明しています。学校現場での在籍率が0.21%もあるにもかかわらず、その大多数が専門的介入を受けないまま成人期を迎えている可能性が示唆されます。

第三に、成人後の深刻な困難です。当事者・経験者ともに、約3割から4割が他の精神疾患を併存していることが示されました。特に多いのは社交不安症、気分障害、そして自閉スペクトラム症でした。さらに、職業状況については約1割が無職であると報告されており、場面緘黙の症状が長期的に社会的機能や生活の質に重大な影響を及ぼし続けている実態が明らかになりました。

診断基準を満たさなくなった後も続く困難

さらに深刻なのは、場面緘黙の診断基準を満たさなくなった「後」にも困難が持続するという事実です。2024年に発表された藤間友里亜氏らによる研究は、この場面緘黙経験者に焦点を当てました。

この研究は、彼らが診断基準を満たさなくなった後でも、依然として発話に困難を感じていること、そしてその困難が社交に影響することを報告しています。特に注目すべきは、反応潜時が長いという特徴です。反応潜時とは、相手の発話に対して応答するまでにかかる時間のことです。場面緘黙経験者は、実験場面においてこの応答時間が長い傾向が見られました。

この反応潜時の長さは、単なる心理的な不安の問題を超えた、音声コミュニケーションにおける具体的な障壁となっている可能性を提起します。例えば、日常会話や職場の会議において、応答が常に一拍遅れることは、相手に「やる気がない」「理解していない」「協調性がない」といった意図しないネガティブな印象を与えかねません。

当事者にとっては不安の結果としての遅れであっても、社会的にはコミュニケーションの失敗と受け取られます。このミスマッチの繰り返しが、前述の2025年の成人研究が示す社交不安症の併存をさらに強化し、職業上の困難につながるという深刻な負のループを生み出しているメカニズムの一つであると推察されます。今後の支援は、不安の軽減だけでなく、この会話のテンポのズレを当事者と周囲がどう管理していくかという具体的なソーシャルスキルの訓練にも及ぶ必要があります。

保護者の視点:支援者との関わりで抱く感情

2025年最注目論文:保護者が抱く感情とその要因

場面緘黙の支援において保護者の役割は極めて重要です。その保護者が支援のプロセスで何を感じ、何に苦しんでいるのか。この問いに焦点を当てた研究が、2025年の日本の研究コミュニティで最も高い関心を集めているトピックの一つです。

2025年10月に公開された田島瑠姫氏らによる論文「場面緘黙児の保護者が支援者と関わる中で抱いた感情とその要因」は、公開直後からJ-STAGEの月間アクセス数ランキングで1位を記録しています。

この論文のタイトルが示す通り、研究の焦点は支援技法そのものではなく、支援プロセスにおける親と支援者の間の感情的な相互作用にあります。これは、場面緘黙の支援の成否が、単に正しい知識や技術が提供されるかどうかだけでなく、保護者が支援者に対してどのような感情を抱くか、つまり信頼か不信か、安心か不安かという関係性の質に大きく左右されることを研究者コミュニティが強く認識し始めたことを示しています。

母親のライフストーリーが語る長期的な葛藤

保護者が直面する葛藤は短期的なものではありません。場面緘黙の子を幼少期から成人になるまで長期にわたり見守った母親2名のライフストーリー・インタビューを行った研究は、その困難の軌跡を生々しく伝えています。

母親Aは、不登校の解決に奔走する中で不適切な支援に苦しみながらも適切な支援を探すという出口の見えない探索の苦闘を語りました。母親Bは、場面緘黙と診断されるも治療も周囲の理解もない中で親子の苦悩が積み重なるという孤立無援の体験を明らかにしました。

この研究が導き出した結論は、支援者に求められるものが何であるかを明確に示しています。それは、親子の辛さに親身になって対応し、家族全体で子を見守ることができる支援であり、さらに踏み込んで、親が子の状況を受け入れ、親自身の人生を充実させる支援の必要性です。

保護者が直面する5つの課題と4つのニーズ

保護者が抱える課題とニーズは、2024年に発表された日本の保護者70名を対象とした定量的な調査によって、さらに具体的に分類・特定されています。

保護者が直面している5つの課題は以下の通りです。初期対応の遅れへの後悔、子どもの不登校、教師の不十分なサポート、他者からの共感を欠いた不配慮なコミュニケーション、そしてコミュニケーション障壁がもたらすいじめや社会的孤立です。

また、保護者が必要としている4つの支援ニーズは以下の通りです。相談先と信頼できる情報の確保、場面緘黙を理解してくれる支援者の増加、場面緘黙について学ぶ機会、そして具体的な改善方法です。

これらの課題とニーズを詳細に分析すると、日本の場面緘黙支援における核心的な問題が浮かび上がってきます。第一に、保護者の最大のストレス要因は子ども自身の問題だけでなく、それ以上に教師、親族、いじめといった子どもを取り巻く社会システムの無理解と不備であるという事実です。ニーズを見ても、情報、理解者、学習機会と、外部リソースの不足が支援を阻む最大の障壁となっています。親はまず理解ある支援者を見つけるという第一の戦いに直面します。

第二に、初期対応の遅れへの後悔は、保護者の個人的な後悔としてのみ捉えるべきではありません。これはむしろ、日本社会の文化的バイアスが生み出した必然的な遅延です。後述するように、日本では「おとなしい良い子」という文化的価値観が、場面緘黙という病理の発見を遅らせます。親は当初、社会の価値観に従って良い子と認識していただけであり、それが症状であると気づく機会を社会によって奪われていたのです。この後悔は親の責任ではなく、社会の無理解が親に転嫁された結果の感情であると解釈できます。

第三に、具体的な改善方法という切実な声は、日本の研究の現状に対する現場からの異議申し立てとも言えます。保護者たちは、理解や共感の先にある、効果が実証された標準的な介入パッケージを渇望しているのです。

医療現場における障壁

支援システムの不備は教育現場に限りません。2024年の別の研究は、小児科や歯科といった医療現場においても保護者が深刻な困難に直面していることを明らかにしました。

保護者は、医師が子どもの状態を正確に把握できないことや、医療提供者の不適切な反応に困難を感じていました。この研究は、解決策としてテレメディシンの活用や、医療従事者向けの場面緘黙に関する研修の必要性を提言しています。

介入アプローチの進化:オンラインと特性配慮

日本における介入研究の概観

保護者の具体的な改善方法が知りたいというニーズに対し、日本の介入研究もまた近年大きな進化を遂げています。

日本の場面緘黙に関する臨床報告を網羅的に調査したスコーピング・レビューによれば、これまでの研究の多くは単一ケースデザインでした。介入方法としては、行動療法遊戯療法が最も一般的に用いられてきました。行動療法にはスモールステップ法や不安の軽減が含まれ、遊戯療法は遊びを通じた関係構築を目指すものです。

これらの知見の蓄積を土台として、2024年以降、より洗練され現代の課題に対応した新しい介入アプローチが登場しています。

オンライン介入と行動的ペアレント・トレーニング

第一の新潮流は、テクノロジーを活用して治療の根本的な障壁を取り除くアプローチです。2024年に発表された山中氏らによるケースレポートは、この点で画期的な手法を提示しました。

この介入が直面した核心的課題は、場面緘黙治療に固有のパラドックス、すなわち子どもが不安ゆえに治療の場である臨床センターへの訪問自体を拒否するというジレンマでした。

研究チームは、この治療の前提条件を覆すために二段階のプロセス・イノベーションを実行しました。第一に、オンラインによるエクスポージャーです。これは単なる遠隔治療ではありません。子どもが最も安心できる自宅から、オンラインでまずセラピストと繋がることを治療の第一歩としました。これは、不安な場所や不安な人に安全な場所から段階的に慣れていくというエクスポージャー療法のツールとして、オンライン技術を巧みに利用したものです。

第二に、場面緘黙に特化した行動的ペアレント・トレーニングの同時実施です。子どもがオンラインでセラピストに慣れると同時に、母親に対して専門的なトレーニングを行い、母親自身のストレスを軽減し、場面緘黙への理解を深め、子どもへの適切な対応方法を学んでもらいました。

その成果は劇的でした。オンライン介入によって子どもの不安は軽減し、発話や表情が増加しただけでなく、最終的にそれまで頑なに訪問を拒否していた子ども自身が自発的に臨床センター訪問を希望するようになり、対面でのコミュニケーションが可能になったのです。これは、治療への最大の障壁であった訪問拒否そのものを治療プロセスに組み込んだメタレベルのイノベーションと言えます。

ASD傾向に配慮した介入

第二の新潮流は、場面緘黙という症状だけを見るのではなく、その背景にある個人の特性に配慮するアプローチです。2025年の成人研究でも示された通り、場面緘黙と自閉スペクトラム症の併存は稀ではありません。

ASD傾向を併せ持つ場面緘黙生徒を対象とした介入研究は、この特性配慮の重要性を具体的に示しています。

対象となった生徒には、場面緘黙の症状に加え、ASDに由来する特性、具体的には見通しの持ちにくさ、ソーシャルスキルの不足、そして他者とのポジティブな交流経験の不足が認められました。

介入チームは、これらのASD傾向に介入法をカスタマイズしました。例えば、見通しの持ちにくさに配慮してセッションで話すトークテーマを事前に伝え、ソーシャルスキルの不足に配慮して最初はオープン・クエスチョンではなくクローズド・クエスチョンを中心にするといった工夫です。

このようなASD特性へのきめ細かな配慮と並行して、大学生との会話練習といったエクスポージャーを段階的に実施しました。その結果、生徒はスムースに話し出すようになり、表情が柔らかくなりよく笑うようになったという顕著な改善を示しました。

これら二つの新潮流は、日本の介入研究が場面緘黙という単一の症状を対象とする段階から、その子の認知特性や親のストレス、家庭環境を含めた個人と家族システム全体を対象とするより個別化・包括的なアプローチへと明確に進化していることを示しています。

研究トピックの多角化

この進化は他の研究トピックにも表れています。2025年の日本心理学会第89回大会では場面緘黙児の遂行機能に関する発表が予定され、2024年には場面緘黙児の保護者の声を教員に伝える方法論に焦点を当てた論文が発表されるなど、研究テーマはより多角的かつ実践的になっています。

場面緘黙の背景要因:文化と生物学の視点

日本の文化的背景:おとなしい良い子というバイアス

場面緘黙の理解と支援を考える上で、なぜその症状が維持されるのか、そしてなぜ発見が遅れるのかという背景要因の分析が不可欠です。

日本の場面緘黙研究において特に重要な要因として認識されているのが文化的背景です。日本を含む東アジアの文化圏では、伝統的に謙虚さや控えめな態度が美徳とされ、自己主張が強いことよりも物静かな態度が好まれる傾向があります。この文化的価値観が、場面緘黙の子どもを「おとなしい良い子」「手のかからない子」として保護者や教師が肯定的に評価してしまうというバイアスを生む危険性があります。

この文化的バイアスこそが、日本における場面緘黙支援の最大の障壁である病理の不可視化を引き起こします。つまり、医学的には不安による発話困難という支援対象の症状であるにもかかわらず、文化的には望ましい態度と解釈されてしまうのです。

この文化的マスキングこそが、前述した保護者の課題である初期対応の遅れへの後悔の根本原因です。教師も親も、その子の行動を病理ではなく美徳と誤って解釈してしまったがゆえに、支援の開始が必然的に遅れます。したがって、保護者が必要とする支援である理解ある支援者の増加や学ぶ機会とは、単なる医学知識の提供を意味するのではありません。それは、社会に深く根付いた「おとなしい子は良い子」という文化的価値観を覆すほどの強力な再教育と啓発が不可欠であることを示しています。

グローバルな視点:バイリンガリズムと沈黙の文化的意味

グローバルな文脈では、場面緘黙はまた異なる要因と関連付けられています。2023年に発表されたシステマティック・レビューは、文化や言語が多様な背景を持つ子どもたちにおける場面緘黙を分析しました。

その結果、二言語使用や移民・マイノリティの地位が場面緘黙と関連する可能性が示唆されました。ただし、研究はまだ少なく、直接的な因果関係は不明です。

このレビューが提言する最も重要な視点は、今後の研究では沈黙と発話の持つ文化的・心理的な意味そのものを検証する必要があるという点です。

興味深いことに、このグローバルな研究が沈黙の意味を問えと将来の課題として提言しているのに対し、日本の研究はすでに日本では沈黙が美徳と捉えられがちであるとその答えの一つを提示しています。これは、日本の研究者が当事者のおかれた文化的文脈を強く意識しているという強みであると同時に、その美徳という解釈こそが支援の遅れを生み出すという支援の難しさの根源でもあることを示しています。

神経生物学的な基盤の解明

研究のフロンティアは、文化や社会環境だけでなく個人の生物学的な基盤へと向かっています。場面緘黙の神経生物学的な基盤に関する研究が、脳機能画像研究によって徐々に進展しています。

不安反応において中核的な役割を果たす扁桃体などの脳領域の活動や、特定の社会的状況で発話が強く抑制される神経メカニズムが解明されれば、将来的にはより効果的な薬物療法やターゲットを絞った行動療法の開発につながる可能性があります。

2025年の知見が示す未来への道筋

パラダイムシフトの総括

本記事で詳細に分析してきたJ-STAGE掲載の2025年最新論文群が示す共通の方向性は、日本の場面緘黙研究が明確なパラダイムシフトの渦中にあることを示しています。そのシフトは、上へと外へという二つのベクトルで進行しています。

第一のベクトルは、上への移行、すなわちライフスパンの視点の導入です。研究の焦点は、従来の子ども中心の議論から、これまで見過ごされてきた青年・成人期の課題、つまり就労、経済的自立、併存する精神疾患、そして生活の質へと確実に拡大しています。

第二のベクトルは、外への移行、すなわちシステムへの着目です。子どもの不安という個人内要因の分析から、その子どもを取り巻くシステム全体、つまり家族、学校、医療、そして文化へと研究の焦点が劇的に拡大しています。

個別化からシステム変革へ

日本の場面緘黙研究は、認知・啓発の第一フェーズを終えつつあります。そして、本記事で見たように、ASD傾向への配慮や家庭環境、訪問拒否といった個別の状況に応じた個別化された支援の第二フェーズへと成熟してきました。

そして2025年の最新研究群が指し示すのは、その先にある第三フェーズ、すなわちシステム変革です。

それは、学校・家庭・専門家が特別支援教育コーディネーターなどをハブとしてシームレスに連携し、文化的バイアスを乗り越えて早期発見を実現し、当事者が幼少期から成人期に至るまでどのライフステージにおいても適切な支援からこぼれ落ちることのない社会体制を構築することに他なりません。

J-STAGEが示すこれらの最新の知見は、場面緘黙の理解と支援が日本において新たなより成熟した段階に入ったことを力強く示しています。今後の研究と実践が、当事者とその家族にとってより良い未来を切り開くことが期待されます。

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