場面緘黙症といじめについて

やっぱり、超スローペースの更新です。

言葉を選んできれいに書こうとしすぎてしまっていました。

今回から、思っていることを素直に書いていきたいと思いますので、文調が変わると思いますがご勘弁ください。

今日のテーマは「いじめ」についてです。

場面緘黙症の人っていじめにあいやすいと思います。

僕自身も何度もいじめにあってきましたから。

一番ひどかったのは中学の時ですね。

ちょうど、いじめが社会問題になった頃です。

担任の先生までいじめの標的になっていましたから。

みんな普通じゃなかったんですよね。

あのときは怖いものなかったなぁ。

相手がナイフ持ち出してきたときもあったけど、不思議と怖いとは思わなかった。

その時は、ぷしゅ~って切られちゃったわけだけど、痛いことよりも、家に帰ってどう説明すればよいのかってことの方が苦労しました。

よく怪我をして帰ってましたから、親には話したくないし、そのたびに言い訳を考えるのが大変でした。

 

いじめって、いじめる方が悪いように言われがちなんですけど、いじめられる方に問題があるように思っています。

もちろん、いじめる方も悪いですよ。

でも、どっちが悪いとかじゃなくて、どこか病んでるんだと思います。

なにか、満たされない物があったり、不満のぶつけ先がなかったり。

そう考えると、いじめる方もかわいそうなんですよね。

場面緘黙症だから、いじめられるっていうのは、単なる甘えでしかなく、言葉を発せなくても、体が動かなくても、自分にできることを考えなさいって!

自分を守るためなら、どんな卑怯な手を使ってもかまわないと思います。

いじめられたことがない人にはわからないかもしれないけど、本当のいじめってそれくらいに切羽詰まった状況にまで追い詰められるんです。

何が普通で何が普通でないのか?

話せないことが普通じゃないとしても、話せたら普通なのか?

話せないことは、考え方によっては些細な事でもあります。

でも、些細な事でも、ずっと背負っていかなければならなくなってしまうこともあります。

これは、場面緘黙症に限ったことではありません。

今、そんな状況にいる子が救いを求めているなら、救ってあげなければいけません。

でも、救うことがその子にとって本当に良いことなのかも同時に考えなければいけないと思います。

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